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繋がる言葉たち

2月25日(土曜日)

毎月足を運ぶ駅の近くには小規模のお寺が多くあります。

待ち合わせの時間に少し余裕があったので、一軒のお寺さんをお参り致しました。

いつもは通り道でしかなかったのですが、少し余裕があるだけでいつもと違った行いが出来ます。

多くのお寺さんの門前には良いお言葉が掲げられています。

今日、なんとなく引き寄せられて目に留まったのが、
『地獄と仏とは我等が五尺の身の内に候』

五尺とは、約150センチです。身長の事を表しているのでしょう。

〈地獄は遥か彼方に存在していると思いがちですし、仏様はどちらにおいでになるのかお目にかかった事がありません。でも、両方ともたった150センチの1人の人間の心の内にあるものなんですよ〉と言う教えだと思います。

地獄とは、思い通りにならない出来事(人との関係、お金の苦労、仕事の大失敗など?)を示すのか?仏とは、人様に優しく、慈愛に満ちた行いが出来たり、しようと出来る心構えがある事を表すような気がいたします。

この解釈は人それぞれかも知れませんが、地獄を感じたり、仏に近づきたいと言った強い思いがある時に宗教が救いになり、信者として歩むきっかけになるのだそうです。


また、『自分を変えるのは、それほど難しいことではない。「他人から言われて受け入れていただけの信念」対「こうなったら嬉しい」の戦いだと明確にわかれば、嬉しいほうを選ぶに決まっている。』

と言う一文にも目が留まりました。これはメルマガで読んだ一文です。
人に言われて仕方なく仕事をしている、生きているより、◯◯だったら嬉しいだろうなと考えられる人は自然にその心には仏様が宿っているのかも知れないと思ったのでした。

前者は何か不都合な事があると他人のせいにします。出来ます。
後者は、◯◯が、△△になったとしても他人のせいにはしないでしょう。

自立して生きている人とは、自分の考えや行いに責任を持つ事に、喜びや幸せを感じられる人の事を言うのではないかと二つの言葉達から感じた事です。

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2017年02月25日 23:57に投稿されたエントリーのページです。

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