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2019年08月 アーカイブ

2019年08月05日

気持ちの切り替え

8月5日(月曜日)


長い梅雨が明けた途端に猛暑の毎日・・・・・。

外は気が遠くなるくらいに上から下から熱が伝わってきます。

かといって室内にずっとこもっていると、ひざから下が冷た~くなって、風邪を引く前の様な気持ち悪さを感じます。

暑さも、冷えも自己対策を講じて乗り越えるしかありません。


さて、社内でも社外の関係者とでも毎日「何でだろう?」という出来事が起こります。


このところ相次いで自分都合な仕事で、呆れた事がありました。

担当者が作った確認書の日付が7月29日。消印はその日の夕方。

開封して内容を確認したのが31日。

しかし31日迄に返信用封筒で戻して欲しいと、文中に赤文字で示してあったのです。

当月中に処理したかったのでしょう。そう察してPDFで当日に送付しますと申し出ても同封の封筒での返信にこだわります。

何でだろう?


もう一人は、メールで面会を求めてきた方ですが、金曜のお昼に送信して来たのに、明日中に返事を欲しいと書かれてありました。

随分自分都合な人だなと思いました。

こちらから急ぎの案件で回答をするならともかく、通常は週末に回答を求めないものです。


何でだろう?

まともに返信したこちらが悪いのか?

何がニュートラルなのかが分からなくなる事が続くと、心身がくたびれてしまいます。


そうは言っても、自分もかつては周りの方々を困らせていた事もあるでしょう。

今できる対処法は、迷惑な人となるべく関わらない工夫をする事。

前者の方は、担当を代わって頂くことを丁重にお願いしました。


一度、二度の失態で気づけない人はこの先もずっと人を煩わせる事でしょう。

社内の出来事であれば、文句を言いながらもそう簡単に別れを言い出す訳には参りません。

しかし、社外の方々の後始末に時間とエネルギーを費やす事にホトホト疲れました。

『仏の顔も三度』

昨今の若い方にこのことわざを知って欲しいと思います…。

2019年08月09日

ことわざの説明

8月9日(金曜日)


定期面談がようやく終盤にかかりました。
この間、社員一人ひとりの課題と解決策などについて話をいたしました。

この頃益々感じる事ですが、たとえ話が通じなくなった事。

理解を深めてもらう為に使う手法が一度では伝わり難く、たとえ話の説明から話をしないと進まない事が増えました。

これがなかなかややこしいですし、時間が掛かります。

チームワークの話題で、チームの雰囲気や仕事場の空気が重苦しいと言う場面で『陰気』という言葉を使いましたがその時の相手にはピンとこなかった様です。


陽気と陰気の比較を伝え、事業所として、お客様にとってどちらがふさわしいのかを確認したのですが、日本語には的確な言葉が沢山あるのに、使いようが無くなっているのを残念に思います。


ちなみに、前回のブログの中で担当を代わって頂いたという事を書きましたが、決して一発退場ではございません。

『仏の顔も三度』ということわざを引用いたしましたが、二年間の仕事の積み重ねですので、三度どころではなかったのでお別れした次第です。


仏様であっても、三度目は怒りますよ!と言うことわざですが、何度も現場が混乱し、困った出来事が重なっておりましたので、むしろ今回の担当代えは遅すぎたのかも知れません。


『後悔先に立たず』

済んでしまったことは仕方がありません。

『人のふり見て我がふり直せ』

困った事を批判するのは簡単ですが、そうは言ってもその人の仕事ぶりを見て自分たちの仕事を見返してみる事も出来たのです。


何事も必然だと思います。


2019年08月15日

平和とは


『東京大空襲を忘れない・平和の集い』

8月15日(木曜日)

今日は終戦記念日。

東京をはじめ、各地でこの日には戦没者を慰霊する会が開かれ、黙とうを行います。

もう、わたくし達の世代は戦争の悲惨さを想像する事も出来なくなっています。

残された資料や、体験者から伝えて頂いた言葉からほんの少しだけ思いを寄せる事があっても、この先どうやってそれらを言い伝えていかれるか?

先週、深川江戸資料館に於いて「東京大空襲を忘れない・平和の集い」というイベントにコーラスの一員として参加して参りました。

深川はその昔、大空襲で10万人以上の命が失われたそうです。

わたくしの母は子供の頃に本所に居りました。
そして焼夷弾が降って来た時の怖さをよく話してくれていました。

小学生の私は『焼夷弾』を『醤油だん』と聞き損じていて、醤油の爆弾が落ちてくるんだと思い込んでいました。


父は若い兵隊として戦地に出向き敵兵が空から攻撃してくると、背丈以上に伸びたトウモロコシ畑に隠れは逃げ回り、弾を逃れたという話をたった一度だけしてくれた事がありました。


資料館では、その当時の写真、また生き残った人の記憶を頼りに絵や文章に書き記した資料が展示されていました。

私たちは歌を通して平和の有り難さを伝えるというコンセプトで参加させて頂いたのです。

好きな歌を自由に歌える。

死人だらけの焼け野原で、食べる事や夜露をしのぐことに精一杯だった混乱の時期には想像もつかなかった事でしょう。とても、とても贅沢なことです。


戦争とまではいかなくても、日本のあちらこちらで悲惨な出来事が毎日起こっています。


もっと言えば、会社の中の小さな社会でも知らぬ間に心痛める出来事、人を傷つける事が起きています。わざとしている訳ではないので、その事に気づいて貰うのに一苦労です。


誰かが痛いと感じる事を体験しないと、いつもの何気ない平和な毎日が当然すぎてしまうのかも知れません。

知らぬ間にとは言っても、何かが起こったら、その意味を考える事がとても大事だと思います。


生きる・死ぬという深刻な事態に向き合う事が無いと、人は何事に対しても無関心になって行くような気がいたします。

わたくし共の仕事は人様の命と生活をご支援するのが使命です。志事です。

でも、志事とは程遠く無機質な作業になってしまうと、人が持ち得ている想像力を使わなくなります。

『想像力』 この感性を育てることが、相手をおもんばかる事に繋がり、自分自身をも守れる事になるだと思っています。

終戦記念日だけでなく、何かをきっかけに『平和って?』と考える癖を持ち続けたいと思います。

2019年08月20日

距離感

8月20日(火曜日)

昨日介護事業者への集団指導の場へ足を運びました。

連絡会の会長だった頃には、様々な事業形態の方々との共同について多くの時間を割いて参りました。

今は自らの法人が営む事業所の運営についてより具体的で日常的な指導を受け、基準にあった業務内容にしていく為に、新たな気持ちで学ぼうという気持ちでいます。

久しぶりにこの手の会に参加しましたが、不思議な気持ちがいたしました。

案内文にには開催時間が14:00~16:00と記載されていましたが、実際は資料とその補足に当たる資料の資料を読むだけで終始し、予定の時間を40分余らせて終わりました。

会の初めに『本日は質問の時間を設けていないので、質問の有る方は質問用紙に記入して提出して欲しい』と一言ありました。


早く終わって、サッサと帰りたい方もあるでしょうし、業務で遅刻した方、途中で離席した方もありますが、2時間の指導を受ける為に業務を調整してわざわざ出向いたにも関わらず、全く事業所との会話を持とうとしない姿勢には大きな課題を感じました。


地域で密着して事業を運営するものとして、しなければならない事柄を求めて指導内容にまとめてありますが、利用者と最も密着している事業所の管理者たちが何十人も集まっているのに、行政が誰とも話をしようとしない姿を見た時に、指導内容に説得力を持たないと思いました。
その事に気づかないのは、双方にとって本当に残念なことです。


そもそも、人を集めて資料を読むだけという作り方はもはや過去の在り方で、昨日の内容であれば、ネット配信などを利用し、各自が事業所で聞けば良いだけです。

指導の案内に従い、参加しないとマズイ・・・・と思っている事業所の方々が多いのかも知れません。


進行の方に『まだ40分もありますけど、本当にこれで終わりですか?少し質問の時間が取れませんか?』と伺いましたが、ニヤニヤ笑われて回答なしでした。


お笑いタレントのネタで、『何でだろう~何でだろう~何でだなんでだろう~~~~』というフレーズが頭に浮かんできます。


ちなみに、このネタは今でも会場でバカ受けだそうです。


最近で言えばチコちゃんが
『ね~ね~~岡村~~~、何で、人が沢山集まっていて、時間もあるのに質問を受け付けないの???』と言いそうです。

ここでチコってしまうと・・・・。


『行政は質問の答えを勝手に答えてはいけないから~~~~!』です。


責任のある回答をする為には、根拠が必要で、その場で一問一答という訳にはいかないのです。


そうであっても、40分の時間全部とは言いませんが、事業所の責任者達が現場を空けてでも『行って良かった!皆にも話を聴かせたかった』と思う様な場創りを考えて実践して頂きたかったなアと言うのが感想です。


対立とか、文句を言う訳でなく、地域包括ケアシステムを本当に作り上げたいと思っているのであれば会話は絶対に必要なのです。

2019年08月26日

自分の言葉で伝える

8月26日(月曜日)


哲学的な話になりますが、人は何の為に生まれてきたのか?と考えた時に100人100通りの答えがあると思います。


生まれた瞬間から天に召されるまでの間をどうやって過ごすのか?

その生きざまを試されている様に思います。

この週末に、大変に心打たれる『つぶやき』を何人かの方々から聴かせて頂く場面がありました。

デリケートな内容ですので、詳しくはお伝え出来ませんが、人って何も準備しなくても自分の気持ちに正直になれば、自分の言葉で様々な想いを伝える事が出来ると言う事を学びました。


結婚式のお祝いのスピーチも、定型文を読み上げる人が続くと残念な気持ちになります。
計画的に文章を用意するとどうしても画一的で、引き込まれる事が少ない様に思います。


週末の会では、まさにライブ中のライブ感満載でした。

絶望感や喪失感、悲しみや苦しみを語っていくうちに、スピーチの終わり頃にはご自身なりの希望を見出して笑顔でスッキリしたお顔になっていく姿がありました。

人間て強いんですね。

ご自身の気のすむままに語っているのを、誰も口を挟まずに見守っています。

せかす人も誰一人としていません。

とても辛いお話なのに、人の営みの中にある少し可笑しなエピソードに触れると、伝えているご本人も聴いている人達も泣きながら笑っちゃうのです。


『共感』と言う事を頭の端っこで理解するのではなく、全身で体験した気分でした。


そして、わたくしの周りで起こっている悩みは、本当に小さいものだと思わされました。


スピーチで共通していた事は、命の長さは主治医が決めるのではなく、自分で決めると言う覚悟。

覚悟を持つと、何をやってもやらなくても、自分で選択する事で心が自由になれると仰っていました。


仕事場でも家族の中でも、趣味の仲間たちとの間でも、『人間関係』での悩みは付き物です。


相手に対しての不満は表すけれど、『ありがとう』と言う言葉を伝えていなかった。

『ごめんなさい』と謝らないまま会えなくなった・・・・・。


今一緒に生きている人、これから先に出会う方々には、素直に自分の言葉で想いを伝えて行きたいと肝に銘じました。


2019年08月28日

本音と建て前

8月28日(水)

最近とみに日本語の使い方や受け止め方に迷う事が増えました。

お客様から『本人には言わなくていいけどね‥‥』とご不満を伺った際にはその言葉を鵜呑みにはできません。

解決したい為に、耳に入れて下さるものだと理解し、即効しかるべき対策を打ちます。

『もう、いつ死んでもいいの』

この言葉も言葉通りに受け取ることはできません。

『いつ死んでも仕方ないけど、生きているうちは大切にしてね』というメッセージだと受け止めています。


さて、お詫びの印にとお菓子を差し出された時はどうでしょうか?

『この度は大変ご迷惑をお掛けしました』とお菓子らしき包みを差し出された際には、即座に『ありがとう』と言って受け取る事はしません。

『そんなにお気遣いなさいませんように』などと一言伝え、相手側が『イエイエ、当方の気持ちでございます・・・どうぞお収め下さい』など短いやり取りがあって『では今回は頂戴いたしますね』なんて言いながら、少しづつ場が和む・・・・のが今までの体験でした。


最近、それほど大きなミスではないのに、お菓子を持参した方がいらっしゃいました。

いつもの様に、と言いますか、本当にお菓子を頂くほどの事とは思っていなかったので、『そんなことはしなくてもイイのよ』と申しましたら・・・・。

『そうでございますか‥‥』とお持ち帰りになったのです。


素直と言えば素直です。


お菓子が欲しかったのではありませんが、その様子は初めての事でしたので、少し戸惑いました。


日本語の特徴として、少し回りくどかったり、言葉通りに受け止めると無礼者と評される文化があります。


有名な例えは・・・京都で『ブブ漬け(お茶漬け)でもおあがりやす』と言われたら『もうそろそろ帰って下さい』と言う意味だとか。

これだけメジャーな合言葉であれば、もはや使い難くなりそうなものですが、裏の裏の裏を読み取る心理作戦みたいで少し面倒です。


若い方は、経験の少なさから裏の裏の文化に不慣れで、文字通りの解釈をなさるのでしょう。

もしかすると若い方々に相手に面倒な解釈を学ばせるより、こちら側の言葉使いをもっとシンプルに明瞭にすればイイだけなのかも知れません。


ただ、本音だけで生きていければそれで幸せか?と言うとそうでも無い様な気も致します。


使い分けが出来るのが一番ですが相手を思いやってこその使い分けをしなければタダの二枚舌となってしまいます。


結局のところ、言葉にとらわれるのではなく、どうやって相手に気持ちを解かって頂けるか?


その根本を考えた上での言葉の選択が出来れば、感謝の気持ちも、お詫びの気持ちも充分に伝わるのものではないでしょうか。


2019年08月29日

働き手を増やすには・・・・

8月29日(木)


多様な働き方を推奨されるようになり、Wワークをする方も増えてきました。

今日開催されたしごと相談会にお越しになった方々の中にも、Wワークを希望する相談があった様です。


『もともと仕事には就いているが、休みの日にだけ他の仕事をしたい。
ただし、遊びに行く時には休めますか?』

この様な質問を投げかけられ、返答に苦慮したそうです。


最近は隙間を埋める為のバイト紹介アプリがあるらしく、今日の1時間だけとか2時間だけ仕事がしたい、人が欲しいというマッチングが出来るそうです。

面接も履歴書も無く、その時間に店舗に行って働いて、その時給を頂いて帰る・・・・。

日雇い労働者のミニミニ版、時間労働者の活用ですが、それで良い職業とそうでは済まない仕事があります。

計画的に高齢者のお宅に訪問して、保険給付に沿ったお仕事を提供するにはふさわしくありません。

働き手を確保する為には、ハードルを下げないといけない現実がありますが、譲れないところも沢山あります。

『1週間に1日でもOKです!!』とはいうものの、その1回が安定的に提供されないと仕事にはなりません。

その事を理解して、働く事=契約なのだと言う事を分からなないといけないと思います。

正規雇用を行っても、この認識を定着させるのはなかなか大変です。

早く言えば、自分最優先者が増えているのです。

以前、同じような悩みをある病院の医師から伺った事がありました。

根拠のない自己肯定感の強さ・・・・。

あれはどこから来るのだろう・・・・?

遠い目をされながら、何度となく『自己肯定感の強さ・・・・』とつぶやかれていました。

仕事場であっても何でも、自分の意志は通るものだと信じている。


一昨日、労働基準局の職員から受けたレクチャーでは事業場の環境整備について、36協定の届け出などについて、ため息が出るほど注意点が繰り返されました。


では労働についていない未来の労働者に指導するのは誰の役目なのでしょう???

働く前から、休みたい時に休めますか?と聞かれる事が増えたこの頃。

有休休暇が付与されていたとしても、全て好きな時に休める訳ではありません。

休む権利がある代わりに、有効な労働を提供する義務もあるのです。


この当たり前の事を言い続け、解かって貰わなければ・・・・。


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